日ごとの聖書(6月29日)

本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙6:1~7」

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

(ローマの信徒への手紙6章6節)

日本聖公会で用いられている洗礼式の式文には、このような一文があります。水の聖別(祈祷書279頁)のところです。「…すべての罪を赦し清めて新たに生まれさせ、キリストの死と復活のさまに等しくし、…」。

神さまは罪人であるわたしたちを救うために、イエス様を遣わされました。罪に縛られた状態のわたしたちを解放し、生きる者とするためです。イエス様の十字架にあずかり、そしてまた、イエス様の復活にもあずかるのです。

「何もせずに罪が赦されるなら、そのまま罪人のままでずっといればいいじゃないか」、そのような反論をパウロは耳にしたのかもしれません。でもそうではないと彼は言います。罪を赦されたわたしたちは、義に生きる者となるのです。