2025年10月12日<聖霊降臨後第18主日>説教

「橋」

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 ルカによる福音書17章11~19節

 「重い皮膚病」、この言葉には、とても深い意味があります。新しい翻訳の聖書では、「規定の病」となっています。

 教会では先週、「リトリート旅」として、長島愛生園や邑久光明園などを訪問いたしました。この二つの施設は、国立のハンセン病療養施設です。そこにおられるのはハンセン病の患者さん、ではありません。ハンセン病という病気は治っています。ですから現在入所されているのは、元患者さんと呼ばれる人たちです。

 ではなぜ彼らは、自分の生まれ故郷に帰らずに、そのまま療養施設に住み続けるのでしょうか。そこには聖書が書く、「重い皮膚病」や「規定の病」という言い方とも深い関係があるのです。

 旧約聖書のレビ記には、その病気にかかると「汚れる」とはっきりと書かれています。ただし聖書が書くいわゆる重い皮膚病とハンセン病とは必ずしも一致しません。ただその病気の特性、たとえば手足の先やまぶたなど見た目が変わっていくことから人々に怖がられ、また感染力が強いという誤解から、隔離をするという状況が生まれたわけです。

 療養所に入っている方々は、その病気が発症したときにそこに連れていかれました。家族によって、また近所の人の密告によって、さらには家族に迷惑を掛けないようにと自分の意思で、療養所へと入っていったのです。そこでは多くの人が自分の本名を名乗ることさえやめ、また結婚したとしても子孫を残さないために手術をされ、そして自分の親のお葬式にも呼ばれずに、隔離されて集団生活を送っていました。その姿は、今日の福音書に出てくる10人の人と重なって見えます。

 聖書の時代、重い皮膚病にかかると、村を追い出されてしまいました。それは単に皮膚病がうつらないように、というだけではありませんでした。その病気になった人は、何かとても重い罪を犯していると考えられていたのです。

 日本でもハンセン病は、天罰としての病や前世の報いによる病と考えられていたことがあります。同じように聖書の中でも、本人か、または親が、とてつもないことをしでかして、神さまが罰を与えられたのだと思われていたのです。そしてそのような人間は、汚れている。だから近くにいてはいけない。どこかに追い出してしまえ、となったのです。

 重い皮膚病にかかった10人は、共同生活を送っていたのでしょう。そこにはユダヤ人もサマリア人もいたようです。でもそんなことは関係なかった。人々の間から排除された者同士、一緒に悲しみを分かち合っていたことでしょう。ある時その近くを、イエス様が通られるといううわさを聞きます。彼らは本当は、イエス様のそばに行ってひざまずき、「イエス様、どうぞ手を差し伸べてください」と言いたかったに違いありません。でもそうしませんでした。それは、彼らはこう言われていたからです。「お前たちは汚れているのだから、清い人に近づいてはいけない。もしそのような人たちが近くに来たとしたら、こう叫びなさい。『わたしたちは汚れている、汚れている』と」。

 とんでもない決まりだと思いませんか。しかしイエス様は、そこに関わっていかれるのです。彼ら10人は、遠くの方に立ち止まったまま声を張り上げて、「イエス様、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と叫びました。イエス様はその声を聞きます。そしてそこに、重い皮膚病を患っている人たちを見るのです。そのときにイエス様が語った言葉は、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」というものでした。当時、社会復帰するためには、祭司の判断が必要でした。祭司が「清くなった」と言えば、病気は治ったとみなされたのです。

 つまりイエス様はここで、彼らが本当にいやされるとは、症状がなくなることだけではないと伝えられているように思います。ただ病気の人が健康体になるだけでは、本当にこの「重い皮膚病」が治ったとは言えません。共同体の中に、家族の元に、いわば人間として復帰して初めて、いやされたことになるのです。

 そのときの様子を少し想像してみました。10人は半信半疑で祭司の元に向かっていたことでしょう。するとだれか一人が叫ぶのです。「おい、お前の身体、きれいになっているぞ」。すると他の一人も言います。「お前もだよ、本当にきれいだ」。そして立ち止まって、みんな服を脱いで、お互い見せ合うんです。大喜びで叫ぶ人もいれば、泣きだす人だっていたかもしれません。みんな顔をくしゃくしゃにしながら、誰かが言います。「さあ、急いで祭司のところに行こうじゃないか」。10人のうち9人はそう言いながら、小走りで祭司の元に向かいます。しかし1人だけ、サマリア人だけは、イエス様に感謝を言いたい、そうやって戻っていった。そしてイエス様に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と告げられたのです。

 彼はイエス様に、「ありがとう」を言いに戻ってきました。わたしたちはこの箇所を読んで、思うんです。「やっぱり感謝って大事だよね」って。でもどうでしょう。イエス様は戻って来なかった9人を、どうしたのでしょうか。たとえば9人が「ありがとう」を言わなかったばかりに、祭司の前に行った途端、病が再発した、という物語であれば、「感謝をしなければならない」というメッセージになるでしょう。しかしそんなことは書かれていません。9人の人たちも確かにいやされたのです。

 「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」という言葉、イエス様はどのような表情でこの言葉を語られたのでしょうか。怒りながらでしょうか。わたしは思います。「仕方ないなあ」と半ば呆れた顔で、でも半分笑いながら言われたのではないでしょうか。そう思うのは、イエス様が彼らの苦しみもよく分かっていたからだと思うからです。家族の元に戻りたい。友達とまた食事をしたい。その思いを汲みながら、でもその思いの中でも感謝を忘れない人には、ちゃんと祝福を与えていく。イエス様にとっては、すべての人が大切なのです。先日のリトリート旅の中で、一本の橋を渡りました。その橋の名前は邑久長島大橋といいます。わずか30mの橋ですが、その橋がかけられるのに17年かかったそうです。

 なぜそれだけの時間が必要だったのか。それは、長島愛生園や邑久光明園に対する差別と偏見がずっとあったからです。しかしその橋は1988年、ようやくかけられました。そしてその橋は「人間回復の橋」と呼ばれるようになりました。

 その橋は、イエス様が伸ばされるみ手なのかもしれません。すべての人が「人間」として歩んで行けるように、わたしたちもまたありのままで生きていけるように、イエス様はいつもその手を伸ばし、導いてくださいます。

 そしてわたしたちもイエス様に倣い、今、苦しみ、孤独のうちにある人たちに、その心に向かって橋をかけることができるように、祈り求めていきましょう。