2020年11月29日<降臨節第1主日>説教

「目を覚ましていなさい」

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マルコによる福音書13章33~37節

 教会の暦では、今日が新しい一年の始まりとなります。今日、降臨節第1主日から礼拝堂のあらゆる場所の祭色は紫色になり、花も飾られていません。アドベントクランツのろうそくに一本灯がともり、静かに祈り、イエス様の降誕のときを待ちます。しかし、今年の降臨節は、昨年までの降臨節、アドベントとは少し違うように感じるのはわたしだけでしょうか。

 2000年前、ユダヤのベツレヘムに救い主がお生まれになりました。神さまはその喜びの知らせを誰よりも先に、羊飼いたちに知らせました。野原で羊の世話をしている羊飼いに、救い主がお生まれになったという喜びの知らせが届けられたのです。羊飼いって、楽しそうで自由な職業のように思えます。しかし実際はそうではありませんでした。たとえば羊は草をたくさん食べますから、いろんな場所に移動しなければなりません。住む場所がちゃんとしておらず、テントで移動したり野宿をしたりして、彼らはとても貧しかったそうです。そして何よりも、その当時のユダヤにおいて彼らは人々から差別されていました。

 ユダヤ人は律法を守ることをとても大切にしていました。たとえば安息日を守るということがあります。週に一度、神さまのためにその日をささげるというのが元々の意味だったのですが、その日は何もしてはいけないということになっていきます。

 羊飼いが週に一度、何もしない日を守ることができたかというと、それは無理です。羊たちに、「今日はご飯を食べずに我慢しなさい。歩いていいのもそこの木までだけです」。などと言っても、言うこと聞くわけありません。さらに律法では死骸や血に触れると、汚れるとされていました。だから日常的に動物と触れ合う彼らは、当然死体にも血にも触れますから、人々からこのように言われていました。「羊飼いは汚れている」と。そして忌み嫌われ、のけ者にされていきました。

 彼ら羊飼いにとって、未来は、明日は、暗闇でしかありませんでした。どれだけ頑張ってみても、今の状況から抜け出すことはできない。自分の力ではどうすることもできない現実があるのです。祈ることすらできません。だって普段、律法を守ってないから。神さまに背いて生きているって、みんなに言われているから。何もできないのです。

 その羊飼いのところに、喜びの知らせが真っ先に届けられたということを、わたしたちは、まさに今年、このような状況にいるからこそ、大切にしていきたいと思います。

 わたしたちはこれまで、降臨節に入り、紫の期節になって、花も飾られず静かな中で祈るときも、心の片隅で思っていたかもしれません。そんなこと言っても、あと何日かしたらクリスマスがやってくる。みんなで楽しくお祝いすることができると。

 ところが今年、どうでしょうか。わたしたちにはクリスマスは、本当に来るのだろうかと思ってはいないでしょうか。本当のクリスマス、それは町がイルミネーションで飾られることでも、歌声がいろんな場所で聞かれることでも、たくさんの人と一緒にご飯を食べることでもありません。

 わたしたち一人ひとりの中に、イエス様が来てくださるということです。2000年前の最初のクリスマスからずっと、イエス様は人々の心の扉をノックしてこられました。「わたしをあなたの心の中に入れてくれ」と、イエス様はわたしたち一人ひとりに、この心の中に語り続けておられます。

 その声は、とてもか細い声です。小さな声です。静かに聞かないと、決して聞くことのできない、そのようなものです。わたしたちは毎年その声を聞いているはずです。でもその声がかき消されてしまう。そのようなことはなかったでしょうか。

 今年、わたしたち一人ひとりは、2000年前の羊飼いと同じ場所に立っているのかもしれません。新型コロナウイルスのために、またお一人お一人が抱える状況のために、前が見えない。歩く方向がわからない。不安や恐れ、葛藤や叫びがわたしたち一人ひとりの心の中にはあります。

 暗闇です。わたしたちはまるで、暗いトンネルにいるかのようです。もうどうすることもできないと、うずくまり、震えるしかないわたしたちの耳に、しかしイエス様はこのように語られるのです。「目を覚ましていなさい」と。

 今日の福音書のこの言葉、「目を覚ましていなさい」という言葉は、第一には、いつも気を張っていなさい、ちゃんとしておきなさいという意味なのでしょう。毎年わたしもそのように捉えてきました。でも今年、このコロナ渦の中での降臨節第1主日に読まれるときに、わたしの心の中には、このように響いてきました。

 「目を覚ましていなさい。安心して待っていなさい。わたしは必ず来る。どんなにつらくても、苦しくても、その言葉だけを信じて、安心して待っていなさい。大丈夫、わたしは必ずあなたのところに来る。だから目を覚ましていなさい」。

 真っ暗なトンネルの中、そこにかすかな光が見えてきます。この礼拝堂の、アドベントクランツのたった一本のろうそくのように、明るい時間に見たとしても、それは小さな、小さな光かもしれません。

 でも真っ暗闇でこのろうそくをつけたとしたら、どうでしょう。その明かりはまばゆいばかりに輝き、ありとあらゆるものを照らします。そしてその明かりを見た人は心安らぎ、温もりを感じ、孤独から抜け出せることができるのです。

 そして光を求めて、出口を求めて、歩き出すことができる。今はたった一つの光かもしれませんが、二つ、三つと光が増えていく中で、わたしたちは感じることができるのです。わたしたちは、決して一人ではないと。いつもそばに寄り添ってくださるお方がいるのだと。

 今年のアドベントは、特別なアドベントです。しかしつらいことだけではありません。神さまからの小さな声に気づくことができる。小さな光を感じることができる。今まで聞こえず、見えなかったものが、聞こえる、見えるようになるのです。その喜びを大いに感じてまいりましょう。

 不安の中にこそ、恐れの中にこそ、手を差し伸べてくださる神さまに、心から感謝したいと思います。