日ごとの聖書(9月24日)

本日の通読箇所「出エジプト記19:10~19」

シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。

(出エジプト記19章18節)

神さまはモーセに、民を聖別し服を洗わせ、三日後にあわせて準備をするように伝えさせます。この「民」というのはイスラエルの60万人全員ではなく、「~の長」と呼ばれるいわゆるリーダーたちのことでしょうか。

山を聖域として民に近づかせないこの描写は、日本の比叡山や高野山といった「自然崇拝」に近い考え方にも見えます。しかし聖書がここで伝えたいのは、「神さまに不用意に近づくな」ということなのでしょう。

神さまに出会うためには身を清めないといけないというのも、神社の手水舎(手を洗うとこと)を思い起こしてしまいます。清くなければ殺されてしまう。清くなければ神さまに出会えない。その考え方は、キリスト教とは大きく違っているように思います。