本日の通読箇所「マタイによる福音書25:1~13」
賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
(マタイによる福音書25章4節)
イエス様が語られた「10人のおとめのたとえ」も、昨日までの箇所と同様、イエス様が再び来られる時に慌てなくて良いように、きちんと準備をしておきなさいということが語られています。
このたとえを読むと、「自分は賢いおとめに入れるだろうか。愚かなおとめだと嫌だなあ」と思ってしまいます。そして、「自分にとっての油は何だろうか」と考えるわけです。
しかしこんな思いもあります。「どうして賢いおとめは、愚かなおとめの分まで油を用意しなかったのだろう。愚かなおとめに準備するように伝えてあげなかったのだろう」。賢いおとめになって、自分だけが祝宴に行くのも、どうも違うような気もします。