本日の通読箇所「コリントの信徒への手紙二1:3~7」
キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
(コリントの信徒への手紙二1章5節)
わたしたちの目の前に、二つの道があったとします。一つは「慰めの道」、もう一つは「苦難の道」。さあ、どちらを選びますか?と言われたら、多くの人は「慰めの道」を選ぶことでしょう。
しかしイエス様の十字架に与るということは、イエス様が受けた慰めだけではなく苦難をも自分の身にまとうことを意味します。「自分の十字架を背負う」ということが、ここで言われているのです。
教会に連なるということは、すべての苦しみから解放されるということではありません。ともすると、苦しみが増し加わることさえあるでしょう。しかしそれこそが、イエス様に従うということなのかもしれません。