2020年12月13日<降臨節第3主日>説教

「わたしたちを照らす光」

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ヨハネによる福音書1章6~8、19~28節

 何故わたしたちはクリスマスを待ち望み、「おめでとう」、「メリークリスマス!」と言い合うのでしょうか。それはわたしたちにとってイエス様の誕生は、ひと事ではないからなのです。もっとはっきり言うと、わたしたち一人一人に関わる、とても大事なことだからなのです。

 先週、教会のカレンダーをご紹介しました。昨年まで桃山で作っていたものを見本にお渡ししたら、見事に素晴らしいものに代えて下さり、大変感謝しております。その教会カレンダーに、来年2021年の年間聖句を載せております。このような聖句を選ばせていただきました。ヨハネによる福音書3章16節です。お読みします。

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 とても有名な聖句です。聖書全体を一文で要約するとこの文章になるという意味で「ミニバイブル」、「小福音書」と呼ばれたりもします。たとえば新島襄は、「これは新約聖書の富士の山、富士山である」と、またマルティン・ルターは「これは聖書の縮図、また小さき福音書である。」と言ったといわれます。

 聖書がわたしたちに伝えていること。それは神さまがわたしたちを愛してくださっているということ、それに尽きるということです。わたしたちを愛して、愛して、本当に大切に思っておられる神さまは、わたしたちの誰一人として滅んでしまうことを望まれませんでした。

 そのために神さまは愛する独り子であるイエス様を、わたしたちにお与えになりました。それがクリスマスの出来事であり、十字架の出来事であり、そして復活の出来事なのだと、聖書は伝え続けているのです。

 わたしたちを愛するが故に、神さまがイエス様をお遣わしになった。そのことについて、もう少し深く考えてみましょう。今日の福音書では、洗礼者ヨハネのことをこのように紹介しています。

 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

 洗礼者ヨハネは光について証しをするために来ました。その光とは、彼の後から来られるイエス様です。まもなく光が届けられるのです。わたしたち一人一人を照らす光が、わたしたちのためにやってくる、そのことが書かれているのです。

 ではわたしたちを照らす光とはどのようなものなのでしょう。イエス様はどのようにして、わたしたちを照らしてくれるのでしょうか。

 光に照らされる。光にはマイナスのイメージとプラスのイメージとあるかもしれません。マイナスのイメージ、それは光が当たることによって、醜い部分、汚い部分がさらけ出されるということです。でも考えてみますと神さまは最初からわたしたちのことはすべてご存じですから、今更そのようなことはあまり気にしなくていいのかもしれません。

 ではプラスのイメージは何でしょう。このアドベントの期間、教会の階段の下には聖家族の飾りとちょっとしたイルミネーションがつけられています。夜、片づけをしたり用事で出かけたりするときに、門の外から中を覗き込んでいる人に出会うことがあります。

 その人たちは、口々に言ってくれます。「きれいだ」とか「かわいいね」とか。正直神戸のルミナリエのようにも、観光地のイルミネーションにも、一昨年まで商店街がつけてくれていた巨大ツリーにも、遠く及ばないものです。重機を使うわけでも、何万個という電飾を使うわけでもありません。

 けれどもそこには、飾りつけをしてくれた一人一人の思いが込められています。様々な工夫をしながら、手作業で、ああでもない、こうでもないと言い合いながら、つけていく。その結果、子どもたちも、道行く方々も、その光を見て、「きれい」と笑みを浮かべるのです。

 イエス様のご降誕、それは、その光のようなものだと思います。その光の存在を知ると、自然と笑みがこぼれる。ほっとする。涙が止まる。温かい気持ちになる。明日も生きていこうと思える。そして人に教えたくなる。そのような光を、わたしたちはこのクリスマスに、もう一度出会いたいと思います。

 今日の使徒書を読みますと、ああ、神さまってわたしたちにこんなことを望まれていたのだな、だからイエス様を遣わされたのだなって思わされます。テサロニケの信徒への手紙一の言葉です。お読みします。

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

 これもとっても素敵な聖書の言葉です。祈ることと感謝すること、とっても大切です。神さまとのかかわりの中で、いつも心がけておきたいことです。でも、それよりも先に、それより前に、こう書いてあります。「いつも喜んでいなさい」と。

 何よりもまず、喜ぶこと。これこそ神さまがわたしたちに望んでおられることだと聖書は言うのです。そしてそのために、神さまはイエス様をわたしたちの間に遣わしてくださったのです。

 「こんな世の中、今の状況で、喜ぶことなんてできるものか」と思うかもしれません。でも、だからこそ、喜ぶのです。こんな世の中だからこそ、光を感じることができる。こんな状況だからこそ、わずかな光に心いやされることができる。そのことを大いに喜びましょう。

 そしてその喜びを、今、苦しみの中におられる、悲しんでおられる方に届けてまいりましょう。

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。