2020年7月12日<聖霊降臨後第6主日>説教

「種をばらまく人」

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マタイによる福音書13章1~9、18~23節

 今日の福音書は、「種を蒔く人のたとえ」と呼ばれる箇所です。ある人が種を蒔きに出かけます。その人は袋に手を入れ、種を握りしめ、そしてまきます。その結果、種はいろんな場所に落ちてしまいます。道端、石だらけで土の少ない所、そして茨の間に落ちてしまった種は、鳥が来て食べてしまったり、すぐ芽を出したものの日が昇ると焼けて根がないために枯れてしまったり、茨が伸びてふさがれてしまったりします。ところが最後の4つ目に、良い土地が出てきます。良い土地に落ちた種は、豊かに実をつけます。そしてその土地に落ちた種は、100倍、60倍、30倍にもなるというのが、この福音書のお話です。

 日曜学校や幼稚園で、このたとえ話がされることがあります。そのときのお話は、大体こういうものだったと思います。「いいですか。種は神さまのみ言葉ですよ。みなさんは4つの土地のうち、どれでしょう」。みんなそれぞれいろいろと考えますが、最後は先生のこの言葉で終わります。「じゃあみなさん、良い土地になれるように、一生懸命頑張りましょうね」、「は~い」。

 このような解釈になるのは、18~23節があるからです。「道端に蒔かれたものとは、こういう人である」から始まって、四つの土地の説明をしている。だから自分はどの土地かということに焦点が当てられることが多いのです。

 そのように今日の箇所を読むことも、大事なことです。自分は今どのような状態なのか。神さまのみ言葉を受け取っているのか。そしてそのみ言葉は自分の中で成長しているのだろうか。そのように自分を振り返るというのも、とても大切なことです。

 しかし今日は、別の角度からこの福音を味わいたいと思います。新共同訳聖書では、今日の箇所に「『種を蒔く人』のたとえ」という小見出しをつけています。それがどういうことなのかを考えていきたいと思うのです。

 今から6年前の3月、アメリカ聖公会の女性司祭、バーバラ・ブラウン・テイラーの説教集が発売されました。その翻訳の多くを担ったのは当教会の副牧師をしております古本みさ司祭です。その方の説教を読んで、わたしは衝撃を受けました。今までわたしがこの箇所に対して感じていた思いを良い方向へ覆してくださったからです。わたしたちはこのような箇所を読むとき、どうしても自分を変えなきゃ、と思ってしまう。自分は良い土地なのだろうか。75%の確率で実を結ばないのではないか。

 心がモヤモヤとして、どうしていいのかわからない。子どもたちのように無邪気に「は~い!」と手をあげることができたらどれだけよいでしょう。しかしそれができない。なぜなら自分が良い土地になれないことは、自分自身が一番よく知っているからです。

 先ほど紹介した説教者、バーバラは言います。このたとえは「種をばらまく人」の話だと。主役は土地ではない。種でもない。毎日毎日畑に出かけ、種を蒔く人、それも「ばらまく」人が主人公なのだと。

 そもそも、種をばらまくという行為自体、わたしたちにはなじみがありません。わたしたちは種を蒔くというと、あらかじめ柔らかくした地面に指先で穴をあけ、そこに丁寧に種を落とし込む。そういう場面を想像します。

 ところがイエス様の時代、その地方での種まきの様子は違いました。種を入れた袋の中に手を入れ、たくさんの種をわしづかみにし、バサーっと投げる。ミレーやゴッホの「種まく人」という絵画を思い起こす方もおられるでしょう。まさにそのようなことが日常的におこなわれていたわけです。

 まさに「ばらまく」です。そしてここからが大事なところです。種をばらまいた人はそれで終わらないのです。種を蒔いた後で、その土地を耕していくのです。堅いところは柔らかくし、石があったら横に放り投げ、茨があったら丁寧に取り除く。それこそが「種をばらまく人」がおこなうことなのです。

 想像してください。みなさんにはたくさんの神さまのみ言葉が日々蒔かれています。み言葉といっても聖書の言葉だけではありません。神さまのお恵み、愛、たくさんのものが注がれています。

 それはわたしたちが想像する種蒔きのような蒔かれ方ではありません。小さな穴に、一粒の種すら無駄にならないように、そんなみみっちいやり方ではない。袋に手を入れて、ガバーっと、まさに大盤振る舞い。これでもか、これでもかというくらい、わたしたちにはシャワーのように恵みの種が蒔き続けられているのです。

 その方は単に、種をばらまかれるのではありません。わたしたちの心が頑なだったらそれを揉みほぐし、わたしたちの心につまづきの石があればそれを取り払い、そしてわたしたちの心を恐れや不安が覆い隠すことがあったならば、たとえ時間がかかったとしてもそれを丁寧に解きほぐしてくださいます。

 その方とは、わたしたちに関わり、道端を、石地を、そして茨を良い土地に変えてくださる方とは、一体どなたなのでしょう。わたしたちのそばにいつもいてくださり、導いてくださる方、それがイエス様なのです。

 今日もイエス様は世界中の人々に対して、神さまのみ言葉の種をばらまいています。今、神さまを求めている人、神さまを探している人、神さまを恨んでいる人。傷つき、苦しみ、途方に暮れ、暗闇から抜け出すことのできない人にも、イエス様は何度も、何度も、種をばらまかれているのです。

 そのことを信じ、わたしたち一人一人もイエス様によって生かされていきたいと思います。特に今回の大雨によって、愛する人を失い、住まいを奪われ、不自由な生活を強いられている方々のもとに、多くの種が蒔かれるようにと願いたいと思います。