本日の通読箇所「マルコによる福音書3:20~30」
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
(マルコによる福音書3章21節)
イエス様の宣教は、身内の人たちにとって好ましいものではなかったようです。彼らはイエス様の子ども時代や青年時代をよく知っていました。同じような環境で同じように育ったのに、どうして突然変わってしまったのか。
「気が変になった」、そう彼らは思います。しかしその根底には、妬みややっかみがあったのかもしれません。「自分たちを差し置いて」という心もあったでしょう。
律法学者にとっても、名もなき大工のせがれが神さまを冒瀆しているとしか思えなかったことでしょう。日々真面目に過ごしている自分たちこそが正しいものなのに、と考えたに違いありません。わたしたちにも同じような思いはないでしょうか。