日ごとの聖書(6月17日)

本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙3:5~8」

決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。

(ローマの信徒への手紙3章6節)

パウロはユダヤ人と論争を繰り返してきました。その結果、いろいろな中傷を受けていたと思われます。その一つが今日の箇所に書かれたことです。ユダヤ人が正しくなかったら、どういうことになるのかと人々に言われたのでしょう。

神さまはユダヤ人を正しい者と認めるために律法と割礼を与えられたのに、律法によって人間の不義ばかりが強調されるとしたら、神さまはその人間を裁かなければならなくなるとユダヤ人は主張します。

なかなかわたしたちには理解しがたい議論ですが、結局このようにして、人間は自分を正当化しようとするのです。わたしたちにも自分を正しい者と認められたいという欲求はあるでしょう。しかし神さまの目にわたしたちは高価で尊い、それだけでいいのです。