本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙6:15~18」
では、どうなのか。わたしたちは、律法の下ではなく恵みの下にいるのだから、罪を犯してよいということでしょうか。決してそうではない。
(ローマの信徒への手紙6章15節)
パウロが語る「信仰義認」に対して、このような批判があったようです。「信仰によって義とされるのであれば、良いおこないは必要ないということか。では何をしても良いということなのか」。
日本の教育の現場は、この数十年間で大きく変わりました。昔は体罰や恫喝は当たり前。先生の言うことを守らないと、とてもひどい目に遭わされていました。そのようにして、人は成長すると信じられていました。
今はその考え方とは違い、一人一人の個性を認め、良いところをほめ、受け入れることを大切にしています。厳しくされるから罪を犯さないのではなく、愛されていることを知ったから義に生きるのです。