日ごとの聖書(2月 7日)

本日の通読箇所「マタイによる福音書11:20~24」

それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

(マタイによる福音書11章20節)

「叱る」と「怒る」の違いをネットで調べてみると、このように書いてありました。「『怒る』が、何の目的もなくただ相手に自分の感情をぶつけるだけであることに対し、『叱る』は『相手の成長を促す』『次の改善に繋げる』という、教育的な目的があります」。

イエス様の「叱る」が教育的な目的なのかはわかりませんが、ご自分の言葉に反応しなかった人々に対して思うところがあったのでしょう。(町ごとに叱るのはどうかとも思いますが)

わたしたちの耳にはイエス様の言葉は届いているでしょうか。わたしたちの心にはイエス様の言葉は響いているでしょうか。「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られないようにしたいものです。