本日の通読箇所「創世記27:18~29」
ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」
(創世記27章22節)
年を取って目がかすんでいたイサクは、息子の顔が判別できないほど見えなくなっていました。声がエサウとは違うことには気づいたようですが、彼は手で触れた感覚の方を信用します。
このやり取りを読んで、七匹の子山羊を思い出したのはわたしだけではないでしょう。オオカミは腕や足に小麦粉を塗りたくりました。自分の容姿を他の人に見せかけて騙すという行為は、決してほめられたものではありませんが。
見事にイサクを騙し切ったヤコブは、祝福を受けました。ヤコブは後に神さまの使いと格闘しますが、そのときも祝福に対して強い執着心を持っていました。その思いを、もしかしたら神さまは評価しているのかもしれません。