本日の通読箇所「出エジプト記29:15~25」
その雄羊全部を祭壇で燃やして煙にする。これは主にささげる焼き尽くす献げ物であり、主に燃やしてささげる宥めの香りである。
(出エジプト記29章18節)
昨日の雄牛の描写もかなり残酷に感じたのですが、今日の雄羊はもっとかもしれません。ただよく考えると菜食主義者でない限り、わたしたちは命をいただき、生かされています。わたしたちは生きるために、動物たちの血を流しているのです。
そのことと、聖書の「献げ物」とは確かに違うかもしれません。けれども自分たちの罪や命のために、血を流すことには変わりはないのです。このような箇所を読むときに、「残酷だ」で終わるのではなく、自分の普段の姿にも目を向けたいものです。
この箇所には、「焼き尽くす献げ物(いけにえ)」が出てきます。これは供えた物を、炭になるまで焼いてしまうことです。その匂いだけが天に届けられるので、宥めの香りと呼ばれます。地上に残るのは、食べることのできない炭だけ。文字通り、すべてを献げるのです。