エレミヤ書
昨年の12月25日発行された井田泉著『エレミヤ書講話━あなたは何を見るか』のあとがきから。
「思い返せば、わたしの預言者エレミヤ書への関心は学生時代にさかのぼります。学園紛争のまっただ中、教会にも青年による『教会革新運動』の嵐が吹き荒れていました。」その主張は教会内部のことしか考えない現状に対して、もっと世間の問題に教会は関心を持つべきではないか。
「聖書の中に生きた神の言葉があるのなら、何としてもそれと出会いたいと切望していました。そうした頃、わたしの心から離れなかったのは、『主よ、わたしがあなた(神)と論じ争う時、あなたは常に正しい。しかしなお、わたしはあなたの前に、さばきのことを論じてみたい。悪人の道がさかえ、不真実なものがみな繁栄するのはなにゆえですか』(エレミヤ書12章1節。日本聖書協会口語訳)というエレミヤの嘆きの訴えでした。」
「わたしは預言者イザヤとイザヤ書を愛していますが、心情的にはエレミヤに最も近いものを感じます。エレミヤの嘆きはわたしの嘆き、エレミヤの涙はわたしの涙のように思えてしまうのです。」
アダマの会 2020年2月12日
エレミヤ書の世界から
1. エレミヤの召命と苦難と告白(前回のあらまし)
2. エレミヤの神殿批判と迫害からの救出 26章
「高官たちと民のすべての者は、祭司と預言者たちに向かって言った。
『この人には死に当たる罪はない。彼は我々の神、主の名によって語ったのだ。』」 26:16
3. エレミヤの示された希望 31章(以下の各節を味わいました。)
31:3 遠くから、主はわたしに現れた。わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ。
4 おとめイスラエルよ/再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓をかかえ/楽を奏する人々と共に踊り出る。
5 再び、あなたは/サマリアの山々にぶどうの木を植える。植えた人が、植えたその実の初物を味わう。
8 見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し/地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も/身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。彼らは大いなる会衆となって帰って来る。
9 彼らは泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き/流れに沿って行かせる。彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。
31 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。
33 わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
34 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。