本日の通読箇所「コリントの信徒への手紙二4:7~15」
わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。
(コリントの信徒への手紙二4章10節)
今日の箇所の最初にパウロは、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」と書きます。ここでいう宝とは、いったい何のことでしょうか。黄金や財宝でしょうか。それとも名誉や地位でしょうか。
パウロがいう宝とは、「福音(神さまからいただいたグッドニュース)」や神さまから与えられた「光」ではないかと思います。それらは神さまの憐れみの中で与えられました。ここでいう憐れみとは、「本来それを受ける権利のない者にも与えられるもの」です。
その宝があるからこそ、わたしたちはイエス様と共に死に、そしてイエス様と共に復活の命にあずかることができるのです。その宝の本当の価値を知っているからこそ、わたしたちは歩むことができるのです。