本日の通読箇所「詩編26:1~5」
主よ、あなたの裁きを望みます。わたしは完全な道を歩いてきました。主に信頼して、よろめいたことはありません。
(詩編26編1節)
「罪なき者の祈り」です。「お守りください、主よ。わたしは正しいのですから」というこの祈りは、ともするとイエス様が批判したファリサイ派の祈り(ルカ18:9~14)と同じように聞こえてしまうかもしれません。
この祈りは、誤って起訴された人や敵対する人に訴えられた人が、身の潔白を表明する言葉のようです。しかしあまりにも自分を正しい者として押し出しているために、間違った言葉に聞こえてしまうのです。
偽る者や主に逆らう者と共に座ることをしないと宣言するのではなく、自分もそのような一人であることを感じ、そのような人とも共に座ることができればと思います。ただそうも言っておられない現実も、よく分かります。




