2025年10月26日<聖霊降臨後第20主日>説教

「隣人の僕となる心をお与えください」

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 ルカによる福音書18章9~14節

 本日の特祷はこう祈ります。「み子イエス・キリストは、小さい者のために行うことはわたしのために行うことになる、と教えられました。全ての人の僕となり、わたしたちのために命を捨て、死なれたみ子のように、わたしたちにも隣人の僕となる心をお与えください。」この「小さい者のために行う」という言葉から、日本聖公会では1977年より今日「特定25」の主日を「社会事業の日」と定めています。全国の聖公会の社会福祉施設を覚えて祈り、その働きを献金で支えています。今年は、三重県津市にある社会福祉法人聖マッテヤ会、にじの家の自立援助ホームのために献金がささげられます。ぜひお祈りとご協力をお願いいたします。

 「社会事業の日」設立当初の趣旨文にはこうあります。「キリストの愛によって行われているこれら社会事業は、キリストの救いのみ業の延長線上にあるものであり、日本聖公会の礼拝・伝道・奉仕という使命の一部である。」つまり、保育園や学校、医療・福祉施設など、教会から生まれた働きはすべて“宣教の一つのかたち”なのです。私たちはこの日、そうした働きを覚え、神の導きと祝福を祈ります。

 奈良基督教会には親愛幼稚園があります。牧師が園長を務め、信徒の皆さんも理事や評議員、また職員として支えてくださっています。また私が管理牧師を務める菰野聖マリア教会では、母体の鈴鹿聖十字会がこのたび「聖十字こもれびハウス」という新しい障がい福祉サービス事業所を開所しました。先週、竣工式が行われ、神さまの祝福のうちに歩み始めました。

 しかし、こうした立派な活動を“やっているから良い”と自己満足に終わってしまっては、本来の目的を見失います。イエス様が求めておられるのは、私たち一人ひとりが日常の中で「小さい者」と共に生きることなのです。

 この特祷の「小さい者のために行うことは私のために行うことになる」というイエス様の言葉は、マタイによる福音書25章40節に出てきます。そこでは「私の兄弟であるこの最も小さい者」となっていますが、この「最も小さい者」とは、そこに書かれているように、飢えている人、渇いている人、泊まる所のない人、裸の人、病気の人、牢にいる人ですが、これは単に身体的・経済的な意味で苦しんでいる人ばかりではありません。孤独の中にある人、祈りの友がいない人、居場所を失っている人、心の希望をなくした人、自分自身を見失っている人も含まれます。もしかすると、私たち自身がその「小さい者」かもしれません。イエス様はそうした人々を「兄弟」と呼び、その痛みと重荷を共に担ってくださいました。そして「小さい者にしたことは、わたしにしたことだ」と言われたのです。

 では、私たちの教会はどうでしょう。奈良基督教会は京都教区の中でも大きな教会です。多くの方が初めて来られ、新しい信徒も与えられています。一方で、離れていく方もおられます。もしその理由が「居心地の悪さ」や「ここは自分の居場所ではない」と感じたためだとしたら、私たちは立ち止まって考えなければなりません。

 今日の特祷の後半部分にはこのようにあります。「すべての人の僕となり、私たちのために命を捨て、死なれたみ子のように、私たちにも隣人の僕となる心をお与えください。」「隣人の僕となる心」、それはどのようなものでしょうか。それは、相手を受け入れる心です。自分と違う考えや価値観を持つ人を、排除せずに受け入れる心です。

 私は今年、対話型アート鑑賞のコーチ資格を取りました。絵を「正しく理解する」ためではなく、見る人それぞれの感じ方を尊重する方法です。「そんな風に感じるんだ」「それもありかもしれない」と対話する中で、心が柔らかくなり、自分の考えも変えられていきます。教会も同じだと思います。「私は間違っているかもしれない」「あなたが正しいかもしれない」と言える柔軟さこそ、隣人の僕となる心の始まりです。

 今日の福音書は、「自分を正しいと思い、他人を見下す人々」に語られたたとえです。私たちはこのファリサイ派の人のように、表立って人を見下すことはないかもしれません。けれども、もし教会の中で「違う意見が言えない空気」が生まれていたら、それは危険のサインです。

 聖公会は“ヴィア・メディア(中道の道)”を重んじます。それは中立ではなく、「両極を包み、神の導きを共に探す」ということです。私たちは皆、不完全な者の群れです。だからこそ互いに聴き合い、祈り合いながら、神の国へと歩むのです。

 「社会事業の日」を迎える今日、私たちは教会外の小さい者を覚えると同時に、この教会の中にも、助けを必要とする人がいることを思い起こしましょう。イエス様がそうされたように、私たちにも「隣人の僕となる心」が与えられますように。そして、その愛がこの教会を通して世界に広がっていきますように。