日ごとの聖書(2月 6日)

本日の通読箇所「マタイによる福音書11:2~19」

目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

(マタイによる福音書11章5節)

人々は救い主が来るのを待っていました。洗礼者ヨハネは救い主が来る前に「悔い改めよ」と、ヨルダン川のほとりで叫んでいました。

洗礼者ヨハネは最後の預言者と呼ばれます。預言者は、人々が神さまの前に正しく生きるように導いていました。時には怒りを持って、人々に接していました。その厳しさからすると、イエス様の行動に対して疑問を感じても不思議ではありません。

しかしイエス様は、「神さまの前に正しくなれない」人々のために来られたのです。目が見えず、歩くことができず、人々から遠ざけられ、耳も聞こえず、生きることもできず、何かにすがらないと歩めないそんな人と共に食卓を囲むため、来てくださったのです。