「心が不安定なとき・・・」
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ヨハネによる福音書14章23~29節
最近、なんだか気候が落ち着きませんね。今年の春は、まだ5月なのに真夏のように蒸し暑い日があったかと思えば、今日のように急に冷え込んだり。本当に不安定です。そして、この「不安定さ」は、気候だけでなく、私たちの心や体にも影響してきます。いわゆる「5月病」という言葉があるように、新年度の疲れが出たり、生活の変化に心が追いつかなくなったり。学校へ行けなくなる子どもたち、仕事を辞めたくなる新社会人、大人でも理由のわからない不安に包まれることがあります。もしかすると、今日この場にいる皆さんの中にも、「なんだか気持ちが不安定だ」と感じている方がおられるかもしれません。あるいは、「信仰の確信が持てなくなってきた」「神さまの存在が遠く感じる」…そんな心の声がある方もおられるでしょう。でも、どうか安心してください。今日の福音書は、まさにそういう私たちのためにある言葉です。イエス様ご自身が、心が揺れ動く私たちに向けて語ってくださっています。
今日読まれたヨハネによる福音書14章は、いわゆる「告別説教」と呼ばれる、イエス様が十字架にかかられる前夜に弟子たちへ語られた長い教えの一部です。弟子たちは、この時、イエス様の言葉を完全には理解できず、ただ「主がいなくなる」という知らせに心を動揺させていました。まるで、余命を知った母親が小さな子どもに「もうすぐお母さんはいなくなるけれど、お空から見守っているから大丈夫よ」と言い聞かせるような場面です。弟子たちの不安、恐れ、戸惑いは、きっと私たちにも通じるものがあります。
その中で、弟子のひとり、イスカリオテでない方のユダが尋ねます。「主よ、私たちにはご自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのはなぜですか?」つまり、なぜあなたがメシアであることを、誰にでもはっきり見える形で示してくれないのですか?という問いかけです。この問い自体は、今日の箇所の直前、14章22節に書かれています。これも、まさしく私たち自身の問いではないでしょうか。「神さま、本当におられるなら、もっとわかりやすく示してください」「奇跡を見せてください。確かな保証をください。不安で仕方ないのです」と。
けれど、イエス様はこの問いに、目に見える奇跡や力ではなく、4つの深い約束をもって応えられました。
① イエスの言葉に従う者には、神がその心に住んでくださる
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」神さまが私たちの内に住んでくださる。これは、みんなでささげる礼拝の中でもお伝えした「WWJD(What Would Jesus Do?)」という言葉にも通じます。イエス様ならどうされるか、いつも心に留め、そこに従って生きようとする時、神は確かにそこにおられるのです。
② 聖霊が「弁護者」として共にいてくださる
イエス様は、弟子たちが一人になるのではなく、「弁護者=聖霊」が送られると語ります。「弁護者」とは、あなたのそばに立ち、理解し、支えてくれる存在。誰にもわかってもらえないと思うときにも、聖霊はそっと寄り添い、あなたの味方でいてくださいます。どんな罪を抱えていても、失敗をしても、あなたを見捨てない存在です。
③ イエス様が与える「平和」は、世のものとは違う
「わたしの平和をあなたがたに与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない」。私たちが求める平和は、戦争がなくなること、生活の安定、社会の正義など、目に見えるものかもしれません。しかしそれらは、いつ崩れてもおかしくない不安定なものです。イエス様の与える平和は、どんな状況でも、心の奥底に静かに灯る平安です。「心を騒がせるな。おびえるな」という言葉は、すべての不安を抱える私たちへの励ましです。
④ イエス様は必ず「戻ってきてくださる」
「わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる」。この言葉は、復活を意味すると同時に、聖霊降臨、そして再臨の希望にもつながります。イエス様は今は目に見えなくても、必ず私たちのもとへ戻ってきてくださる。それが、私たちの信仰の中にある希望です。
二千年前に生きた弟子たちから、西暦2025年の今に至るまで、どれほどの人たちが、このイエス様の約束を信じ、どんなに不安定な状況の中においても、心に希望と喜びをもって生きてきたことでしょうか。そう考えると、今、不安の中にいるということは喜びなのです。目には見えない確かなものを信じることができる、そして希望を持つことができる。これ以上の喜びはこの世には存在しません。
今年も冊子「御国が来ますように」が配布されています。今週木曜日の昇天日から、6月8日の聖霊降臨日までの10日間、私たちは希望をもって、全世界で共に祈ります。不安定な世の中、不確かな人生の中に生き、暗闇の中におられる一人でも多くの人に福音が伝えられますように。主の平和がありますように。祈ってまいりましょう。