「主なるキリスト」
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ルカによる福音書23章35~43節
教会暦の最後の日曜日となりました。降臨節前主日の今日は「王なるキリストの日」とも呼ばれます。来週からはいよいよ降臨節、アドベントが始まり、キリスト教では、この日から新しい一年がスタートします。クリスマスまであと1か月というこの時期、学校や幼稚園では収穫感謝礼拝が行われますが、私が学校のボランティア部の顧問をしていた時には、その時に持ち寄られたお米や食料品を釜ヶ崎のホームレス支援団体に届けていました。その時に目にした不思議な光景をちょっとお話したいと思います。
食品の配達が終わった後、突然、ある男性が怒鳴り込んできました。前日に彼がそこで買った5つの柿のことで激怒していたのです。「甘い」と聞いて買ったのに、実際はとても渋い“渋柿”だったというのです。男性は皮付きのまま大きくかじられた柿を見せながら言いました。「こんなひどい柿を売りつけるなんてどういうことだ!」女性は何度も謝り、すぐに彼の払ったお金を返し、言いました。「本当にごめんなさい。渋柿だとは知らなかった。どれほど酷いか想像はできるけど、もちろん、私も食べるわね。」その女性は皮付きのまま、大きな一口をその渋柿にかじりついたのです。そしてもちろん叫びました。「これはひどい!今日はこれ一日中口の中に残るわ!」すると彼らは一緒に大笑いし、それまでの恐ろしい空気が一変し、温かいオレンジ色の陽だまりがそこにふわっと浮かび上がりました。私はその場で、大きな衝撃を受けました。自分が彼女の立場なら、きっと謝って返金して「さようなら」と済ませていたでしょう。しかし彼女は、男性の苦しみに自ら入り込み、その痛みを分かち合うということをしたのです。とっても小さなことです。けれどもその時、私は、彼女の姿に十字架のイエス様を見た気がしました。罪や苦しみを遠くから見て取り除こうとするのではなく、共に痛み、共に嘆き、同じ場所に立つ。それが「王であるキリスト」なのです。
今日の福音書、ルカ23章。そこには兵士も群衆もいました。彼らは口々に言います。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ!」イエス様の頭の上には「これはユダヤ人の王」と書かれた札が掲げられていました。それは侮辱として置かれたものでしたが、ルカはそこに真理を見ています。イエス様は、高い玉座、立派な冠、力による支配を持って王となられたのではありません。犯罪人の隣で、同じ釘を打たれ、同じ痛みを受けながら、罪人のために祈り、赦し、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と宣言されたのです。これがキリストの王権です。弱く、低く、苦しむ者の隣に立つ王。痛みを他人ごとにせず、自ら引き受ける王。釜ヶ崎で渋柿を一緒にかじった女性の姿は、まさにこの王の姿に重なっていました。
そして、今日の旧約、エレミヤ書23章はメシア預言と呼ばれる箇所です。エレミヤがこの預言を語った時代、イスラエルには多くの「王」や「指導者」がいました。しかし聖書は彼らを「羊の群れを滅ぼし散らす牧者たち」と呼びます。王は本来、民を守り、導くべき者です。ところが当時の王や指導者たちは、弱い者を顧みず、権力のために民を利用し、貧しい者を踏みつけ、神の名を語りながら不義を行い、自分の安全と繁栄だけを求めていました。その結果、民はバラバラになり、国家は崩壊の危機に陥りました。これが「この世の王」の姿です。
エレミヤはそのただ中で、主の言葉を伝えます。「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。」正義と恵みの業を行う、新しい王の到来です。この世の王たちのように自分自身のためではなく、貧しい者、弱くされた者、孤独な者たちのため神の正義を行い、私が共にいる、だから大丈夫と肩を抱き、彼らのためなら犠牲になることを厭わない、そのような王の到来を預言したのです。そして、その王の「名は、『主は我らの救い』と呼ばれる」と言います。この王こそ、貧しい馬小屋に生まれ、最後は十字架にかかって罪人の隣に立ち、痛みを共にし、赦しを宣言された主イエス様なのです。
来週から降臨節が始まり、私たちは、再びこの王を迎える準備に入ります。強さで治める王ではなく、弱さの中に現れる王。高い玉座に座る王ではなく、私たちの苦しみのただ中に来てくださる王。渋柿を共にかじった女性のように、痛みに寄り添うために来られる王。十字架の上で、罪人と共に釘打たれた王。その王を、私たちは待ち望みます。
アドベントとは、「この王のやって来る道を、心に整える時」です。自分の弱さ、罪深さ、不完全さを隠さず、イエス様が共にいてくださる空間を心に準備していく季節です。エレミヤの預言は、単なる古い言葉ではありません。それは釜ヶ崎の小さな台所でも、そして私たちの小さな日常にも、今も響いています。私たちの王は、遠く雲の上におられる方ではなく、「あなたと共にいるために、あなたの痛みと苦しみを、あなたと同じ場所で味わう王」です。その王と出会ったなら、今度は私たちが、その生き方を倣って歩むときです。
今日は一年の終わりの日曜日。この一年に起こったこと、どこで王なるキリストと出会ったかを振り返りましょう。そして、この王をもう一度自分の中に迎えるために、精一杯心の中の貧しい馬小屋をお掃除をして、心豊かに降臨節を歩んでいきましょう。




