本日の通読箇所「コリントの信徒への手紙二11:16~20」
わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。
(コリントの信徒への手紙二11章17節)
パウロは使徒として活動していく中で、何度も自分の過去のことを語る必要に迫られたと思います。パウロ(当時はサウロと呼ばれていた)が回心した物語は、使徒言行録の9章に書かれています。
パウロはユダヤ人ファリサイ派として、キリスト教徒を迫害していました。イエス様に従っていたステファノが殺害される場面でも、パウロはそれに賛成し、石を投げる人たちの上着の番をしていました。
その行動はまさに、「愚か者」でした。しかしそこまで愚かな自分が変えられたということ、その愚かさをパウロは誇るのです。自分の汚い部分を隠すのではなく正面から語る、それがパウロに課せられた使命だったのでしょう。