本日の通読箇所「ローマの信徒への手紙11:17~24」
そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。
(ローマの信徒への手紙11章20節)
新約聖書をずっと読み続けていると、ファリサイ派や律法学者といったユダヤ人を悪と決めつけてしまうことがあります。パウロがいた時代の異邦人の中にも、そのような驕りを持つ人たちがいたようです。
神さまは、ユダヤ人という枝を折られて、異邦人という枝を接ぎ木されたのだとパウロは書きます。しかし憐れみの神さまは、その折った枝さえもいつでも接ぎ木されるのです。同じように一度接ぎ木された枝も、いつ折られるかわかりません。
わたしたちも、神さまの憐れみにより接ぎ木された枝です。その憐れみの上に、わたしたちは生かされていることを覚えましょう。「あの枝を早く折ってください!」などと願うのは、ちょっと違いますね。