本日の通読箇所「コリントの信徒への手紙一6:12~20」
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
(コリントの信徒への手紙一6章19節)
5章からここまでパウロは、「みだらな行い」について論じてきました。それはコリントの人たちやパウロの論敵たちが、このように言っていたからです。「わたしには、すべてのことが許されている」と。
イエス様の十字架により、すべての罪が赦され自由となった。そのように人々は理解しました。ただその結果、「みだらな行い」をしてもかまわないという、間違った方向へと進んでいったのです。
わたしたちの身体は、聖霊が宿る神殿なのだとパウロは書きます。わたしたちの思いではなく、神さまのみ心のためにわたしたちの身体を用いることができれば、どれほど素晴らしいことでしょうか。